安易な広告モデルに潜む危険性

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現在、ウェブサイトで収益をあげる手法の主流は広告ビジネスです。
ユーザ、ページビューをいかに集めるか、滞在時間をいかに長くするかが鍵であり、収益をどうあげるかは二の次でしょう。むしろ、収益化はそれに成功すれば自ずとついてきます。
それをマネタイズと呼び、それに成功した最たる例がGoogleでしょう。

このマネタイズという行為を、このコラムではばっさりと切り捨てています。

マネタイズとはなんのことはない、広告費というかたちで他産業が稼いだ富の配分を受け取ることにすぎない。 週刊ダイヤモンド 2007/11/17号 51頁
しかし、この記述ははっきりと否定させていただきます。
広告ビジネスは、他産業から"タダ"で、言わば寄付のように富の配分を受けているわけではありません。"広告"という商品を立派に売っているのです。
従来は、商品をユーザに提供することで、その対価を受け取るという二者間の取引であったのに対し、広告ビジネスは、商品をユーザに提供し、ユーザは広告を閲覧し、他産業がその対価を支払うという三者間の取引に代わっただけです。
それぞれが相応の価値を提供し、対価を受け取っているという本質に違いはありません。

Webや新たな広告ビジネスだけがそういった形で対価を受け取っていたわけではないではありませんか。雑誌や新聞、駅の広告など、従来のビジネスにも、こうした形の"富の配分"は存在していました。
ここでのこうしたマネタイズという行為への批判は、Webビジネスを否定し、自らの主張を通そうと持ち出してきた詭弁に近い気がします。

しかし、このコラムが本当に主張したいと思われる部分は、大筋その通りだと思います。

本来、モノや情報・サービスには相応の対価がある。いくら広告費で充当できるといっても、安易な無料化に消費者が慣れてしまうことで、長期的にはあらゆる産業に悪影響を及ぼす危険性も否定できない。 週刊ダイヤモンド 2007/11/17号 51頁
すでにその危険性は現実のものとなっているでしょう。
ユーザ、特に日本人のユーザは、情報というものはタダで手に入るものであると信じている節があります。
ブランドというたいして価値のないものに対しては、多すぎるほどの対価を支払っているというのに、情報にはまったくといっていいほど対価を支払おうとしません。
情報はカネがかかるものだという認識もなければ、対価を支払わなければその情報を提供するものがいなくなってしまうということには気づきもしないのでしょう。

しかし、それはユーザが悪いわけではないと思います。ここのコラムの筆者もユーザに責任を押し付けるつもりはないと思います。
ユーザは安いものを求めます。不況と言われている時代においては、その傾向は顕著に現れています。それは決して悪いことではない。むしろ身の丈にあった生活をしなければならないのであれば、必然ということもできます。

諸悪の根源は企業側にあると言えるでしょう。
自らが生み出した商品を価値のあるものだと、相応の対価を払ってでも手に入れるべきものだと、ユーザに伝え切れていないのです。そして、相応どころか、対価を払う必要すらないと思わせるようなものしか生み出せていないのです。
特に情報を提供する企業はそのことをよく考えるべきではないでしょうか。新聞や雑誌、書籍などは、ユーザの活字離れという根拠のない原因を持ち出して、自社の業績の悪化の責任をユーザに押し付けています。
価値のある情報を提供していれば、ユーザは相応の対価を支払います。その対価を支払わないのであれば、ユーザは価値がないと判断しているということではないでしょうか。
情報を有料で提供することを生業としている人たちは、今一度、この点を見直してみてはいかがでしょうか。

最後に、このコラムの中で気に入った一節を引用します。

タダ同然のものに付加価値を付けて高く売ることが、ビジネスの醍醐味でもあるはずだ。 週刊ダイヤモンド 2007/11/17号 51頁